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考えること、学ぶこと。

考えることの体力をつくる “千本ノック” 西村 ユミ(首都大学東京健康福祉学部看護学科 教授)

問いの足場

 

「千本ノックですね……」

 

私が担当する大学院の公開授業に参加した編集者が、そう呟きました。授業での発表や議論のあり方が、何かを鍛えているように見えたのでしょう。自分にとっての日常は、よくよく自覚的に点検してみないとわからないものです。この指摘を受けて、授業やゼミで行っていることを振り返ってみたくなりました。

 

首都大学東京で大学院向けの授業を始めたのは4年前。いつの頃からか、私のもとに集まった院生たちは、自らを「西村研究室のゼミ生」と名乗り始めました。このゼミ生たちの様子が、その編集者をして野球の千本ノックを彷彿とさせたようです。

 

大学院、特に博士後期課程の授業を始めるにあたっては、私が働きかけるのではなく「西村研究室のゼミ生」たちが自ずと形をつくり出していくだろうと思って、“足場”だけを固めることにしました。

 

しっかりとした足場さえあれば、そこから何かが生み出されていきます。メンバーの大半は現象学的研究に取り組むことを求める院生たちですから、そこは哲学に親しむことのできる場、ゼミ生たち自らの「問い」が生まれ出づる場、そして、それにしぶとく取り組んでいける場、となるはずです。

 

参加者は、必ずしも履修者だけではありません。履修者以外の“もぐり”の中には、看護学を学ぶ者とそれ以外の専門分野の者、哲学に親しんでいる者とこれから親しみたい者など、挙げればきりがありませんが、要は「現象学」と自らの問いを関連づけて考えたいという一つの目的のみを共有し、それ以外はできるだけ多様なカテゴリーにある人が集まれる場、としたかったのです。

 

同質者同士の集まりの中では、自らを相対化する機会はあまり期待できそうにありません。他者との前提や考え方の違いを意識し関心を向けることが、自己のそれを浮かび上がらせる契機となります。そこに、思考や関心の射程が一気に拡張する可能性があるのです。

 

と、このような理由づけはできますが、私自身が他分野の研究者、例えば他の医療分野や社会学、哲学、人類学などの専門家、ダンサーや演劇関係者等と接する機会が多いため、自ずとこうした方向に議論の場を広げたくなるのかもしれません。

 

他方で、広げてばかりでは収拾がつかなくなります。議論を収斂させる方向のお立場として、現象学の専門家である榊原哲也先生(東京大学大学院哲学研究室教授)に非常勤講師としてお越しいただくことにしました。

 

これで足場は固まりました。毎週決まった時間に集まって、参加者とともに議論をし続ける。議論の終着点は準備しなくても自ずと決まっていくでしょう。

手探りの議論の行方に光を照らす役割を担う榊原哲也氏。難解な哲学書のことばを、当時の著者の思考をたどるかたちで解説し、ゼミ生たち自身がそこに書かれた文章を体験することをサポートする。

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