哲学入門を志す人のための読書案内 ①
優れた哲学書は、自分自身で考えるための良き伴侶となることでしょう。ここでは、自分自身で考え始めたいと思っている方のために、良き哲学書をご紹介します。
ところで、ショーペンハウアーは『読書について』(岩波文庫)の中で、「読書は他人にものを考えてもらうことである。……ほとんど丸一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。」(pp.127-128)と書いていますが、もしそうであるとしたら、それは著者だけがその著作に書かれている秘密──つまり、著者が何を言おうとしているのかということ──をすべて知っていると考えているからです。
しかし、解答があらかじめどこかに用意されているわけではないように、まったき秘密などどこにも存在してはいません。存在するのは作品の真の意味ではなく、ニーチェが言うように個々の──特異な──解釈だけなのです。本を読むということは、思考することと同じです。それは、本を読むことによって、独自の解釈を創造することだと言えるでしょう。ですから、ショーペンハウアーに抗して、「読書こそが、自分でものを考える力を養っていく」と言えるのです。
『知覚の現象学』(モーリス・メルロ=ポンティ著、中島盛夫訳/法政大学出版局)
脚注や用語解説でも触れた20世紀のフランスの哲学者メルロ=ポンティ(1908-1961)の主著です。この著作において、メルロ=ポンティは自分自身で考えるということがいかなることか──つまり、自分自身で考えること──を実践しています。『知覚の現象学』は、自分自身で考え始めたいと思っている方にとって、哲学することを教えてくれる恰好の哲学書であると言えるでしょう。
『メルロ=ポンティ・コレクション』
(モーリス・メルロ=ポンティ著、中山元編訳/ちくま学芸文庫)
『知覚の現象学』はかなり厚い本ですので、哲学に入門したいという方にとっては敷居が高いかもしれません。そんな方には、この本をおすすめします。この本を読めば、メルロ=ポンティのエッセンスを掴むことができると思います。この本に収録されている「表現としての身体と言葉」と「セザンヌの疑い」は、第3回で言及する「創造的表現」を理解するために、必読であると言えるでしょう。
『KAWADE道の手帖 メルロ=ポンティ 哲学のはじまり/はじまりの哲学』(河出書房新社)
メルロ=ポンティという哲学者がどんな人であり、どんなことを考えたのかということを手っ取り早く知りたい人にとっては、とても参考になる本です。この本の中で私は「入ることと始めること」という哲学入門を書いていますので、この「哲学入門」と併せて読んでいただければ、「哲学とは何か」ということに対する理解が深まるのではないかと思っています。
『新哲学入門』(廣松渉 著/岩波新書)
脚注で触れたので紹介しておきます。この本の中で廣松は「認識するとはどういうことか」「存在するとはどういうことか」「実践するとはどういうことか」について自分自身で考えています。その意味で、自分自身で考え始めようと思っている方にとっては、最良のお手本であると言えると思います。廣松の『新哲学入門』は、この「哲学入門」とすべてが符合するわけではありませんが、一読に値する本であることは間違いありません。