用語1:身体における実用性
「実用性」とは、一般的に「実際に用いること」、「実際に役に立つこと」を意味しますが、こうした実用性は最善の解答を前提とした「何が最も役に立つか」という日常的思考の産物であり、それは社会や歴史の中でつねに変化していきます。そして、こうした実用性を求めれば、第2回で見たように私たちは自分自身で思考することも、あるいは自分の生に誠実に生きることも拒否することになるでしょう。
しかし、自分にとってのみ必然的に役に立つこと──つまり、自分自身だけができること──を考え、それに従う──自らの身体を行使する──ならば、その時、私は自分自身で思考し、自分の生に誠実であることができます。こうした自分自身に役に立つこと──そして、それを行うこと──が、自分自身の「身体における実用性」です。そして、哲学的思考だけが自分自身の「身体における実用性」を明らかにしてくれる以上、少なくとも「この私」にとって哲学的思考は実用的、つまり役に立つということができるのです。
なお、カントは『実用的見地における人間学』という本を書いていますが、この実用的見地は「身体における実用性」とは異なると言わなければならないでしょう。