注3:「看護の現場においても考えるということがどのようなことであり、どのように考えればいいのかということを理解していただけるのではないでしょうか」
いわゆる天才と言われる人たちを見れば、自身の思考を行使することがそれほど難しくないこともお分かりいただけるのではないかと思います。例えば、ポール・マッカートニーという奇特な人物がいることはご存じでしょう。彼はよく「偉大である」と言われますが、しかし彼が偉大であるのは、歴史上一番多くレコードを売ったからでも、『ギネス・ワールド・レコーズ』に最も成功したシンガー・ソングライターとして記載されている人物であるからでも、かつて『ビルボード』の全米チャートで1位から5位までを独占したからでもありません。彼は自分が作ることができる作品しか作らなかったから偉大なのです。おそらく普通のミュージシャンであれば、どんな曲が売れるのか考えるために、いわゆるマーケティング的手法を用いて売れている曲を分析し、今売れる最善の曲を作ろうとすることでしょう。しかし、こうした手法が如何に哲学的思考から隔たった適用的思考であるかがお分かり頂けると思います。それに対して、ポール・マッカートニーは自分にしか従わないのです。これと同じことは、ナイチンゲールも指摘できるのではないでしょうか。天才だから哲学的思考や創造的表現を行うことができるのではありません。哲学的思考や創造的表現を行ったものだけが結果的に天才と呼ばれるようになっただけなのです。