注6:表現以前にあるのは、漠然とした熱気だけなのであって、創り上げられ理解された作品だけが、私たちがそこに無というよりもむしろ何ものかを見出すべきであることを証明することになるだろう」

 

『意味と無意味』(pp.24-25/p.24)