看護の立場から ①

坂井 志織(首都大学東京客員研究員)

 

「哲学」という言葉を聞くと、“難しい”“看護とは関係のない学問”という、アレルギー反応が自然と出てしまいがちです。ところが、この「哲学入門と考えることを始めること」を読んでみると、私たち看護師が、実践の場ですでに「哲学=自分自身で考えること」をしていたことに気づかされます。「哲学」していたというより、むしろ「哲学」させられていたと言ったほうが近いかもしれません。

 

現場で患者や家族、医療システムなど多様で複雑な状況に出会うなかで、私たちは何かが気になったり、引っ掛かりを覚えたりせずにはいられません。その状況に身をおくことで、知らず知らずのうちに、「哲学」することに巻き込まれていたのです。言い換えると、自分自身で考えることが哲学入門だとすると、看護実践にはすでに「哲学」が含まれていたことになります。

 

新鮮な驚きを感じるのは『この私が考える』です。エビデンスという言葉が看護に浸透していった頃から、“客観的”であることが求められ、個々の傾向性は客観的な判断を妨げる邪魔な物とされていました。しかし、ここでは“それぞれの思考の条件”として、むしろ欠くことができないものだと書かれています。つまり、それぞれの実践の場において、直に相手と関わり考えさせられてしまうような「この私」こそが、考える足場であり、そこを離れてはいけないということです。

 

このように、これまでとは異なる視点を得たり、忘れていたことに気づかせたりしてくれるのが、「哲学」の面白さの一つかもしれません。いかがでしょう、看護とは関係のない学問だと思っていた「哲学」が、なんだか身近なものなってきませんでしたか。

 

さらに、哲学書を読むことではなく、まずは自分自身で考えることを始めるだけでいい、というのも敷居が低くなりますね。私も、意気込んで哲学書を読み、何度も玉砕しました。失敗しない入門法としては、やはり身近にある気になっている事例について考えてみることをお勧めします。とことん考えてみて、行き詰ったときに、哲学書に手を伸ばしてみる。すると、新たな視点が拓け、気がついたらあなたもすでに「哲学入門」していたというわけです。