鍵穴から部屋の中を覗く「わたし」の羞恥心

 

存在と無─現象学的存在論の試み[2]』ジャン=ポール・サルトル著/松浪信三郎訳、2007年、筑摩書房より。

 

この部分は、鍵穴をのぞき見している男が、後ろから声をかけられて、激しい羞恥心をかき立てられるたとえが出てきます。他者を意識しない間、私たちは世界を意味づけ、世界を所有していますが、いったん他者を意識すると、自らが見られる存在になり、自分が相手に所有されたような感覚になるというのです。「突然、廊下で足音のするのが聞こえた。誰かが私にまなざしを向けている(略)。私は突然、私の存在において襲われる。本質的な変容が、私の意識にとって存在する」(Sartre, 1943 b/松浪, 2008, p.465)と述べるサルトルは、他者との関係をとても相克的にとらえます。

 

(宮子あずさ 注)