看護に「ずらし」をもたらす

 

矢原:社会学は純粋に学問になり、ソーシャルワークといった実学部分と切り離されることによって、理論上の「背後とりゲーム」が上手になったのです。ある研究論文が発表され、その内容にはこういう盲点や限界があると理論的に証明すると、それで一枚上をとれたような感覚になる。するとその理論に対してさらにまた誰かが一枚上を重ねていくような流れが、理論的に続いていく。それを上手にきれいにやっていくことに僕は疑問を感じてしまうんです。先ほどご指摘があったように現実社会の中での社会学の存在なんてすごく小さいものなのに、その小さな世界の中で論文の背後をとることばかりやっていても、何か滑稽な気がするんです。今、目の前にある現実的な課題に対してできることがあるなら、その背後をとられることを意識するよりも、少しは腰を据えて取り組む姿勢というのが、臨床社会学には必要なのかなと思うんです。

 

吉田:そうでないと前にいる人の価値がなくて、背後の背後の背後の...人しか残れなくなってしまいますよね。

 

矢原:アメリカでクリニカル・ソシオロジーが台頭してきた背景の一つには、おそらくそういった問題意識があったんだと思います。社会学で大学院教育を受けても終わった後にどこへいくのか、アカデミックなポストが不足する中で、自分たちは専門知識をこれだけつけているのにそれを活かす場がない。ソーシャルワークの方を横目で見ながら、ならばもうちょっと現場に接近するといった研究者が出てくる流れは必然だったのでしょう。同じような意識を日本の社会学者がどれだけ持っているのだろうかという疑問もありますが。

 

吉田:せっかく看護系の大学が200校あまりもあるのだから、例えばそのうちの半分にでも社会学者がいて、臨床の看護師のリソースとしてアクセスできるような形ができればいいですね。看護の中にいろんな「ずらし」を生み出す仕組みとして。現状は医療安全対策とか、臨床倫理の分野で社会学が活かされていますが、今回のお話を聞くと、私としては院内研修といった職場内での学習、多職種連携についての学習などに、社会システムという形で人間や人間の集団を見ることができる、矢原先生のように現場に軸足を置かれた力のある人に関わってもらえたら互いにウィン・ウィンだなと感じます。

(2013年3月25日、JNAビルにて)

「Nursing Today」2013年6月号

  対談・臨床の「知」を発見しよう!(本編)

「振り返りとリフレクションはどう違うのか」「Reflection = “うつす”は、映す・写す・移すでもあり、“はなす”は、話す・放す・離すでもある」「対等でフラットな会話がいいとは限らない」「一歩引いたメタな視点のすすめ」などなど、興味深い話題が満載です。▶▶

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