社会学者として「越境」する

 

吉田:矢原さんのこういう試みは、これからどういう場で発表されていくのですか?

 

矢原:あまり社会学の分野で話しても「なんか変わったことしてるな」っていう感じなので、介護福祉分野での取り組みは介護学会でお話したり、精神保健福祉士の人たちとやっている研究会やリフレクティング実践のことはそちらの学会で報告をしたり、ナラティヴ・アプローチに関心の高い家族療法学会などでももちろん論文を書いていますので、社会学者としては何者なのかわからなくなっていますね(笑)。

 

吉田:どんどん越境されているんですね。私は日本保健医療社会学会を通じ、看護学の分野が発達していくにつれて学問がどんどん多様化し専門分化していくこの状況が、一つの社会システムの普遍的なサイクルであることを、社会学者の方々から教わりました。つまり、ある分野なり学問なり組織というのは、制度化やタコツボ化が進んでいくのは避けられないこと、そして、その硬直化したところでそれを破壊する動きが起こる、という流れなんですが、同じことを医師の世界が先にやって苦しんできたのを、看護職はつぶさに見てきているのに、自分たちもそれをそのままコピーするのは、歴史から何かを学ぶという視点で非常にもったいないなと思うんです。でも先ほど矢原さんが、介護福祉の人たちがこれから介護研究を切り拓いていく中で、今の看護学と同じような困難を迎えようとも、一度はそういう経験が必要なんだとおっしゃったのを考えると、私たちも無駄をしているわけではないとも思えます。

 

矢原:研究においても、教育や実践においても、「つくりながら壊す」あるいは「ずらす」ことをうまくやって行かなければならないんですね。

 

吉田:壊す仕掛けというのをどのくらいの集団の単位でどのくらいの規模でやるか。こういう発想は本当に自分たちのポジションから一歩引かないと生まれてこないですね。そのためには思想の越境がやはり必要になってきます。厚生労働省が出していた看護師養成所の指定規則の中には社会学が必須だった時代が長くありました。その頃は必ず社会学者が講義を頼まれるという文化が存在したので、社会学者からするとそのお陰で一定の居場所を確保できていたわけですよね。社会学ってそのように異分野との間に、一歩引いた距離で、ちょっと離れた視線からみて発言していく位置をとる、メタ的な位置を築くのに適した学問だと思うんです。でも、逆にどこからもしっかりと取り込まれないリスクも抱えているのかもしれませんよね。

 

矢原:そうですね。社会学はある意味でその「ずらす」ことにはまりすぎているきらいがあるのだと思います。つくりながら壊すことは重要だけど、それを繰り返し続けることに慣れたり安穏としてしまうと、またそれがひとつの型になってしまう(笑)。

 

吉田:うーん、深いな(笑)。

日本保健医療社会学会:「インターナショナル ナーシング レビュー 日本版」2012年臨時増刊号(小社刊)では、吉田さんの編集協力を得て「看護における社会学的アプローチと実践」という総特集を組みました。矢原さん(「会話についての会話を用いたケアのケア:リフレクティング・プロセスの臨床社会学」)をはじめ、日本保健医療社会学会会員の多くの社会学者・看護学者にご執筆いただきました。[編集部]

1

2

3

4

5

6

7

8

9

日本看護協会出版会

Copyright © 2013 Japanese Nursing Association Publishing Company, Ltd. All rights reserved.