デカルトをめぐる人物相関図

デカルト  René Descartes

1596-1650/近代フランス

(トゥレーヌ地方ラ・エー)

 

日本では徳川幕府が始まった頃、「我思う、故に我在り」という言葉に集約されるその後の自然科学の推進に必要な考え方を提示する近代的な哲学を生み出した。哲学者であるとともに数学や医学などにも詳しく自然科学者でもあった。当時の学問世界ではラテン語を使うのが主流だったなか、デカルトは日常語のフランス語でも本を書いた。

 

 

 

 

 

 

 

1640年、デカルトは娘のフランシーヌにフランス語を教育をしようと渡仏の計画を立てるが、5歳のフランシーヌはアーマースフォールトにて猩紅熱により死去する。また同じ年にデカルトは父と姉もたて続けに亡くしている。デカルトの研究者のなかには、こうした一連の経験の影響によって彼が医学から哲学(普遍性)の探究へと向かったとみなす者もいる。