看護の立場から ④
(首都大学東京大学院 人間健康科学研究科 博士後期課程 看護科学域 栩川 綾子)
この記事では、患者とのコミュニケーションについて書かれており、ぐっと身近な場面になってきました。看護は、コミュニケーションを通して患者とかかわり続ける、そして患者を理解していく営みだと思います。今回は、その「かかわり」や「理解」の営みがどのようなことなのか、問われている気がしました。
私は、例えば「眉間にしわが寄っている」「なんかいつもより元気がない」などのように、患者とのかかわりにおいて自分が感じたこと・気になることを、相手に伝えるようにしています。私には、なぜそう感じたのか、どうして気になるのかは、はっきりわかりません。ただ、それは何らかの知識を当てはめて理解できそうもない「特異な出会い」だから、患者に聞くしかないのです。
そこで「○○さんの表情が気になったけど…」と、私の知覚したことを患者に伝えます。すると、それはだいたい的中しており、患者には何かが起こっているのです。患者はそれをきっかけに自分のことを話し始めるので、私にはどんどん新たな患者が現れ、理解ができるようになっていきます。これは嗅覚というか「本性」というべきか。
私は、患者を「見て・きいて・感じる」ことからかかわりを始めていきます。これこそ、私の「生に誠実」であることなのでしょう。何らかの知識や過去の経験を用いる手前で、目の前の患者にありのままの自分で向き合い、知覚したことから問いかけ、考えていくことからかかわりがはじまる。これが、患者との「交流」の始まりなのであり、「哲学的思考を作動」させることなのです。看護では、目の前の患者にかかわっていくことが、「創造的表現」となるのです。
患者とのかかわりが、実は「哲学的思考」だったとは……。自分の看護実践が実は奥深い営みであったと理解できると、なんだか看護を続けていく力が湧いてきます。