看護の立場から ③
(日本赤十字秋田看護大学 齋藤 貴子)
今回の杉本先生の原稿で触れられた「私」だけが考えることのできる思考、模倣不可能な思考という言葉について考えてみました。皆さんのまわりには、その人にしかできない実践や、誰も模倣ができないような思いつきをする看護師はいないでしょうか? 私は、次のような経験を想起しました。
私が知る看護師のAさんは、人工股関節置換術後の患者をみごとに、するすると離床させてしまう方です。この実践のルーツは、Aさんが術後1病日の、ある患者を受け持ったときに「なんで起きれないだろうとか、なんかこう、とにかくもう怖がってて」といろいろ考えていたところ、「そっかあ」とひらめいたことにあるのだそうです。
Aさんはそこで、「実際に(術前に)練習すれば楽にいくんじゃないかなあ」と、術後に患者が楽に起きられるようになるための実践を思いつきました。つまり、起きられない患者を目の前にして、そこで考えはじめ、実践を生みだしたのです。術前に患者と起き上がり立ち歩く練習をし、PTが関わる前に歩行補助具の使い方をすべて教えることで、患者は術後、躊躇することなく「滑らかに」と形容したくなるくらい、スムーズに離床していくのでした。
こうした実践は、Aさんのような類まれな看護師だけに可能なことなのでしょうか。私たちも患者を目の前にして「どうしよう」と思うときがあります。手立てとなる実践が手元になくとも、患者といかに関わっていこうか、患者の言葉や経験にいかに触れていこうかとまず考え始め、同時に考えられるべきことが生み出され、実行できる実践を考えつくことがあります。
誰かの実践や考えられたことを、私たちの実践に当てはめるのではなく、考え抜くことによって私たちにしかできない、創造的で特異な看護の「構想」や「実行」の可能性が拓かれる……。
哲学の言葉が、そっと私たちの背中を押してくれているようにも思うのです。